GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

批判と非難をごっちゃにしてはいけない

これも古くて新しい話題だと思うのですが、盛り上がっているので僕も便乗する。

ネットで文章を書くことに対する批判という魔物にどう向き合っていくべきか的なお話。批判されるのがイヤならネットに文章書くなよってのは正論ですが、批判や非難を受けまくるのを好きになれって話でもないだろ、と。

[徳力]批判されるのが嫌なんだったら、ツイッターやブログはやめて、Facebookに閉じた方が良い、という話。

先に結論から言いますと、批判と非難をごっちゃまぜにしてしまいスルーすべきものをスルーできていない情報発信者が多いのではないかということを危惧しております。これは、その喚起を促すエントリです。ソーシャルメディア時代はスルー力の時代と言っても良いんじゃないかと、勝手に思っております。

批判を受け入れることは必要ですが、非難を受け入れる必要はどこにもありません。更に言えば、批判とか非難をちゃんと受け止めて考えろみたいな話も、受け入れる必要はありません。

批判というのは何かと申しますと、僕の感覚では「相手の言っている内容をしっかり捉えた上で、その理屈を通すのであればここが足りない or そこはどう思うのか or こうすべきではないかというキャッチボール」というもの。それに対し非難というのは「相手の言っている内容の足りていない部分を責め立てて、勝手に10カウントを奏でるもの」です。

ポイントは後者はバカでも出来ますが、前者は相手のことを思いやる気持ちが少なからず無ければ出来ません。コミュニケーションの大原則は、相手と同じものを共有すること・そして共感することです。それが無い批判や非難など聞くだけ無駄ですので、受け流していいのです。真摯に受け止めても良いことありません。自分で自分のクビを締めちゃいます。

一昔前に「スルー力」という単語が流行りました。提唱されたご本人の真意と違う意味かもしれませんが、僕は批判と非難を自分で区分けして非難を受け流す力のことを「スルー力」というのではないかと思っています。

私もヤングマンの頃は自分のブログの内容に寄せられた色んな反応に対して、「なんで言わんとしていることがわからんのやろ、随分と勝手な解釈しやがってアホか」という苛立ちを感じたり、「そう取られるんだったら、書かないほうがいいや。お前のために書いてるわけじゃないし。」と思った時期がありました。僕の文章力に問題があることは否めなかったのですが、自分が問題だと感じたことであれば何を指摘しても良いってわけでも・・・なんて思ったりもしました。

この種の「傷つき」は残念なことに不可避ですが、その先には頑張ったご褒美が待っています。

ブログを書きます。その内容に対して、あーでもないこーでもないと評価されます。そもそも評価されるだけ幸運なことなのですが、ブロガーからすれば、もにゅもにゅしてしまうこともあります。叩かれるポイントも見えてくるようになるので、余計ブログを更新する気力は萎えてきます。でも、そこを引っ込めちゃうと伝わるものも伝わらないので、ガン無視しております。ここ重要です。最終的には「この文章が良かった」対「この文章は許せない」になってしまうんですが、予防線張りまくりの文章は誰得なんで・・・。これが批判される覚悟的なものかもしれないです。

自分から見れば単なる誤読かもしれないけれど、読者からすれば様々な見解があることでそれらを掛け合わせて有益な情報を得ることが出来ます。誤解を先回りして解消することは出来ないけれど、それはいつしか裏返って自分が本当に伝えたいことが伝わる人を引き寄せます。それがブログをやって来たことに対する、僕が得た果実でした。

ただ自分の居場所にじっとしていてはだめなんですよ。外へ外へと出て行って、巡り合って育てていかないと。机の前に座って情報を集めるだけでは、そこに熱がない。あなたを認めもしないし、刺激もしないし、ホロリともさせないじゃないですか。

「おさまってたまるか」 中村勘三郎が語る仕事―4

僕はこの勘三郎の名言が大好きなんですけれど、外へ外へと巡り会って育てて行く過程の中で、この手の批判や非難に埋もれてしまい「受け流すことの大切さ」を知らないのは不幸なことだと感じざるを得ないのです。赤の他人が責任取れるわけでもないんだから、自分にとって意味のあること(≠都合の良いこと)にフォーカスしましょう。

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