GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

頭が良いということは、価値を正しく認識できること

「頭の良さ≠頭の回転の速さ」だと思う。

そして、世間では頭が良いというのを誉め言葉で使うことが多いが、「頭の良さ」とは、「目の良さ」「力の強さ」などと同格の特性ではないかといつも思う。 “あの人は頭が良いね”ということは、“あの人は走るのが速いね”というのと同列で、その人が優れた人格を持っているとか、徳があって賢いとか、そうしたこととは独立な事象なのだ。

人格と能力が正比例するわけないんだけど、まぁ確かに同一視しちゃう時もある。立て板に水が流れるように教養あることをスラスラと淀みなく話されるとこいつは徳があって賢いというイメージにつながるし。100Mを10秒フラットで走れるからあの人は人格者だ、なんてことはあり得ないと皆が言う。だけど、頭の回転が早いだけでこの人は優れていると判断する人はすごくいっぱいいると思う。世間には頭の回転の早い大悪党が席巻しているんだぜ。

頭の良さに関連するキーワードをならべてみると、いろいろある。記憶力。判断力。分析力。洞察力。創発力。言語能力。推論能力。理解力。

これだけあっても、全ての道は一つに通じると思っている。記憶力が良かろうが、分析能力が高かろうが、理解力が優れていようが、最終的に重要なのは「何に価値があるか」をどう認識するかに尽きる。この価値把握能力とも言うべき能力こそが、頭の良さそのものなんじゃないだろうか?頭の回転の早いエリートな方々が下した判断が、時には何の価値も生み出さないものであることだっていっぱいあるはずで。

そして、ここが重要な点ではあるんだけど、自分が「これは価値がある」ということを主張することは相当なエネルギーを消費する。批判に回ったほうが10倍ぐらい楽なはずだ。濃淡はあるにせよ、価値があると主張するって事は、自分の人格を賭けて発言することに等しい。その価値が妥当なものであると証明しなくてはならない。発言リスクが飛躍的に高まる。だけど、それを恐れていたら何も生まれない。それを恐れ続けていると「魂にスーツを纏う」ということになるのではないだろうか。

私は、無様にミスをする天才でありたい。

そういう人間でありたい気持ちを込めて、2008年最初のエントリの筆をおきます。