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GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

投影しなくちゃ自分なんて一生わからない〜A Tribute for XX〜

しみじみいいこというなぁ、弾さん。見事にid:dropdbさんを生き返らせた。

人というものは、鏡がなければ自分の顔すらわからない。
だから、私は自分を晒している。そうしないと自分がわからないから。

晒してみて、自分を何かに「投影」しないと、自分が何を欲していることなんて分からないんです。出さなきゃダメなんです。外に。自分の外に出してそれを何かにぶつけてみない事にはなーんにもわからないんです。私はBlogというメディアが大好きですけど、何が好きかって言えば自分映す鏡としてのBlogという使い方がとっても有効だからです。また、はてブのようなソーシャルブックマークタグクラウドによる自分の興味嗜好を分かることが出来るっていうのは大きいと思います。

ただ、Blogは悪い面もあると思っています。Blogを書いている人の存在が軽くなることです。誰でも気軽にWebサイトを持てるということは、そのサイトに対する自分の本気度・思いというのが薄くなるんだと思うのです。今から10年ぐらい前はホームページを持つということは良くも悪くもめんどかったし、Webサイトの向こう側にいる管理人の存在が今より前に出てきていたと思います。発言責任に近しい何かがあったと思います。ネト充・リア充なんて概念なんてなくて、リアルな人がリアルな言葉を語っていたなぁと思います。なぜならWebサイトというものを一から作ることは、自分の存在を投影していく感覚を余儀なくされていたからです。今はこうやって日本語を書くだけでWebサイトが持てる。利便性に流されて不便の中にある大切なものが形骸化しているような感覚を覚えます。

心理学用語で「カタルシス」という言葉があります。はてなダイアリーの定義を借りると「文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。」とあります。この「文学作品などの鑑賞において」を「自分が晒したエントリーにおいて」に読み替えるといいと思います。私はこのカタルシスは知的生産における麻薬みたいなもんだと思ってます。自分の思いをカタチに出来たときそれはとっても楽しいはずです。

文章を書くことで何かわだかまりのようなものが氷解し一種の解放感があるはずです。そういう気持ちが無ければ、カネ儲けや仕事でもない限りBlogなんて続きません。MixiTwitterも含めればもうお前は変態だろっていうぐらい私は文章を書いてますが、全く苦になりません。文章を書くってことは、自分にとっては何よりも良いことだからです。村上春樹の著書「遠い太鼓」の中にこんな一文があります。

文章を書くということはとてもいいことだ。少なくとも僕にとってはとてもいいことだ。最初にあった自分の考え方からそれを「削除」し、そこに何かを「挿入」し、「複写」し、「移動」し、「更新して保存する」ことができる。そういうことを何度も続けていくと、自分という人間の思考あるいは存在そのものがいかに一時的なものであり、過渡的なものであるかということがよくわかる。

「遠い太鼓」 著者:村上春樹 563p

そうなんです、自分なんて一時的で過渡的な存在なんです。もっと言ってしまえば、たいしたもんじゃないんです。あなたがいなくても、世界はまわっていきます。あなたが会社を辞めても会社は存続していきます。いい加減に構えるのが一番です。いい加減は「良い加減」っていう意味がホントに言わんとしていることなんじゃないでしょうか。

でもいかに文章を書いたとしても、そういうのも含めて外界に晒してみないことには、あなたにとって大切なことは分かりません。投影することが重要だと思うのです。もちろん内なる自分に投影してもいいと思いますが、それは一歩間違えると自分をDISる方向に向きます。自分のまわりの社会というものをとっても狭く捉えてしまいます。狭くと深くは紙一重なところがあります。そんな時は、もっとゆる〜くひろ〜く考えることです。あなたの存在とは全く違う何かによって世界は回っているのですから。適当重要です。アイラブ純次。50過ぎたら高田純次みたいになろうと心に決めています!

自分の興味を晒すと言うこと、自分はこれが価値があるんだと思っていることを明言する、明文化するということは、時にはあなたの存在を賭すことに近い感覚があります。自分の根本的な価値観との距離が近ければ近いほどそういうことになるでしょう。だから言えない、晒せないってこともあるのはわかります。でも、逆に考えてみて欲しいと思うのです。あなたが晒さないことでどうしていいか分からなくて困ってるひとだっていることを。心の殻を閉じてしまう弊害にも目を向けて欲しいと思うのです。自分にとって大切な人を失ってしまっては、自分を投影していくことすら出来なくなるのですから。

OSSの根底にあるギークのオープンマインドなやさしさを、プログラミングというカタチでなくても共有できるようなWebコミュニケーション媒体は今の所ブログなんだろうと思います。だから、今日もBlogを書きます。

自分のために。