GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

「あちら側」と「こちら側」のアービトラージの先へ

サバイブSNSでmine-Dさんが「IT格差社会でアービトラージ」というエントリを書かれていて、そこからヒントを頂戴しブログを更新。mine-Dさんのエントリを読まれたい方はサバイブSNSへどぞー。

ウェブリテラシーをテコにした裁定取引

アービトラージというのは、分断された市場の狭間で割安な資産を購入すると同時に割高に資産売却を行い無リスクで収益を確保することだそうです。詳しくこちらに書いています。

mine-Dさんのエントリでは「ネットでホッテントリに上がるような記事を見ているとIT技術の進化はもの凄く早いと感じるけど、職場のITへの理解があまりにも遅れているように思えてならない。ネットが開通してからもう10年くらい経つし、パソコンも一人一台とは行かないまでも、かなり普及している。なのに、本当にみんな何も知らない。」といったような一文から書き出されています。

ホント恐ろしいなぁと正直思いました。

ありがたいことに私のブログも様々な会社様からアクセス頂いておりますが、恐らく僕のブログが観測範囲に入っていらっしゃる方なんて全従業員の1%ぐらいで、はてブでやっと5%だと思います。RSSリーダーを使っている人も多分それぐらいの割合。ネット上には有益情報がいっぱいあるし旧来のメディアでは拾えない情報も多いからそれを得ないなんてもったいない、という感覚は普通持ち得ないのではと思います。日々いろんな情報が更新されてやり取りされるIT技術は陳腐化される危機感があるけれど、それ以外はあんまりないというか。ネットを観測する考え方がそもそも無い。

ネット上を歩けるリテラシーがあれば無料で自分の知りたい情報が手に入って、自分の技量を磨ける機会が至る所にある一方、そもそも自分の好奇心の矛先をネットに向けていない人は一切何も手に入らない状態になっている。この格差をさらに上乗せすると言葉の壁というのがあるので、日本語圏と英語圏の間でもアービトラージが成立しているかもしれない。

僕はWeb技術に理解があることは普遍的なアドバンテージだと思っています。どんなアイデアもそれを実現できる技術がないとカタチにならない。逆もしかりで、素晴らしい技術でもそれを活かすコンセプトやアイデアがないと誰もハッピーにならない。まさに車輪の両輪です。パワーバランスが狂うと廃車へまっしぐら。おーまいーにゅーす。

ネットの情報源という流通市場と実社会が分断されているから、ちょっとしたアンテナを張っていれば良質の情報資産が取得できる。この格差って結構重要で、結局こういった格差があることで一般の方がシステムってこんなこともできるのかっていう知識を仕入れることができないままになっているのかもしれない。

たぶんこの格差はしばらくこのまま続くような気がします。知っているものにとっては格差に映りますが、知らない人にとっては対岸の火事に過ぎない。

更に言ってしまえば自分の嗜好に合わせて戦略的にネットを活用すれば人生の契機が訪れる可能性があると信じている人は、驚くほど少ない。

一般ユーザーとの乖離をどう考えればいいのか

僕が思うに、ネットの集合知を謳歌してスキルUPできるのは今の所ギークだけ。それもそのはずで、ネット上で何かやろうとしたら当然サイトを作らねばならないので、サイトを作るだけの技術力が求められる。簡単に言えば、コードを理解できない人間は参加できない。OSSはコードを書ける人たちの中だけでPDCAが回せているので(これも実は相当すごいと思う)それに付随してコミュニティも形成されている。

だがそういった閾値があることで自分の知的好奇心の矛先をネットに向ける人たちは限られているし、アウトプットの形も限られているのでは、と思う。そして乖離は更に深くなっていき、Google検索とSNSYouTube等がメインの一般ユーザーとの距離が離れていってしまう構図が出来上がっている気がしている。

別にこのままでいいような気もするし、ものすごい価値損失をしている気もしている。

逆にこの分断された市場の間に橋をかけることができれば、きっと世界は面白くなる。

今の所id:essaさんのオープンソースジャーナリズムが文系のオープンソースというのに最も近いものなのかなと感じている。

 『ウェブ時代をゆく』は、日本語のタイトルが決まる前に、僕の心の中で英語のタイトルが決まっていました。それは、「Web revolution for the rest of us. 」というものです。

どういう経路をたどって「the rest of us」に向けてのWebが出来上がっていくのだろうか?「the rest of us」のWebの活用方法はどう変わっていくのか、どう進化していくのだろうか?いつの日かコードを書ける能力という敷居が無くなっていって色んな人がITによる知的生産を文章だけでなくアプリケーションとして作っていけるようになるのだろうか?

その過程の中に大きな価値があると思います。