読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

仕事の役に立たないことを学ぼう

Tumblrをぷらっと見ていたら、非常に刺激的な記述があったので思わずReblogした。

メシの種になる実践的(practical)な知識と全然それだけでは飯の種になりそうもない抽象的な知識のバランスを考えさせてくれます。

僕は大学卒業する直前まで、全くpracticalなスキルを磨いたことはありませんでした。アルバイトでISPのテクサポをやってたけれど、多少のネットワーク知識とHTMLが書けるぐらいの知識しかなかった。プログラム言語やデータベースに触ったことがなかった。経済とか経営とか全然興味が無かったし、今ではネタだろって言われるんですが、僕は英文学科を卒業しており学歴上は文系なんです。卒論を書く時にはじめて「論文」というものに触れて教授に論理的なアプローチを教えてもらって、そこからぐぐっとロジカルな人間になりましたが。

実際こんなことを言われたことがあるんです。

「文学なんて解釈を論じるだけだろ?別にそこに動きはないし、面白いと思わない。」

まぁ端的に言ってしまえばその通りなんですが・・・。

でも技芸を学ぶだけでは、深く狭い生き方になってしまうんですよね。専門性をひたすら追い求めていく生き方は、仕事に幅が生まれない。仕事の全体的な土壌が肥沃ではなくなる。僕はそれがイヤだなと感覚的に思っていたんですが、今回Tumblrに乗っていた文章を読んでもやもやが晴れました。自分のもやもやが言語化されて提示された時に感じる、心の浄化作用ってすごい。

しかし、ものごとを解釈し、自分なりに世界の成り立ちをとらえる力は、就職以前に、生きる上で、わりと直接的に役に立つものだとも思う。できごとは、断片として体験するだけでは済まない。自分の人生というストーリィに組み込まれてはじめて、経験として機能する。要するに、納得できないと、人は苦しい。だからみんなお話を求め、作る。目の前のできごとを理解するための枠組みのようなものを。

私たちはときどき、手持ちの枠組みをちょっといじるくらいでは人生に組み込めないような大きな出来事や、新しいタイプの出来事に遭遇する。

そういうとき、練り上げられた解釈をいくつも咀嚼した経験のある人間は、わりと強い。自分が生きるのに適した、オリジナルの枠組みを作ることができる。そこまでの必要がなくても、適切な解釈を組み合わせればいろいろなことが納得できて、ラクになる。あるいは努力しやすくなる。

http://gothedistance.tumblr.com/post/321109250/yuco-seepassyouagain

村上春樹だったと思うけど、「人は文章を書き抽象的に物事を考えて成長していく」といった趣旨の発言をしており、まさにこういうことだと思う。

経験という機会はみなに等しく与えられるけど、そこから何を得るかは「目の前のできごとを理解するための枠組み」を持っているかどうかで、随分違ってくる。自分の身に降りかかってくることは、断片的な事実に過ぎないことがほとんどです。多くの場合、その事実から何かを学び取り自分なりのメタ思考というべきものを通して、事実の裏にあるものを考えたり、事実をつなげてひとつのストーリーを作ってみたり、時には文章に書き起こし抽象的にものごとを捉え、不都合なことが起こっても、自分が生きるのに適した方向性に向かって自分を導いていく。

そういうことが出来るひとって僕の周りにもいるんですけれど、なんていうんでしょうか、引力を感じるんですよね。その存在に引き込まれる感覚。こういうのは代替が効かないんです。

抽象的に物事を考える習慣に乏しいと何がまずいかということ、物事を鵜呑みにしてしまうことが多くなること。技芸を学んでも世間は学べない。引用元の記事の言葉を借りると「不遇や孤独の原因を全面的に他人の存在に付与する世界観の貧困さが、人を殺させる。」ということ。疑うことを知らないのは本当に怖い。AといえばA、BといえばB。本来はAとBの間に軸をたて、バランスをとりながらいくつかの世界観を鳥瞰することが大切。世の中は絶対的に正しいなんてことはなく、どっちも正しいことがほとんどだから。どっちも正しいってことがわかれば、自分が悪いなぁって思える機会も増える。とてもいいこと。解釈の幅が広いということは、1つの物事に取り組んだ時に複数の気付きを得やすくなるということにもつながるので、実は急がば回れなんじゃないかなと感じています。

仕事に関係ないことに取り組む、エンジニアならIT以外に夢中になれる趣味をもったほうがいいと思う。エンジニアは目の前の現実を変えることが出来る技芸を持っているのに、目の前の現実にあまり興味関心が無かったりソフト設計以外のことを抽象的に考える機会に乏しかったりするのは、とてももったいない。価値を産むってことはどういうことなのかって、仕事に役立たないことを学んで始めて思い至ったりするのだから。

でもあんまり自分と対話してばっかりいてもしょうがない部分もあって。それは大きく言えばインプットだと思っていて、インプットはアウトプットをして引き出しを空っぽにしないと、得たインプットが身につかない。身につかないってことは自分の行動に移せないし試せないのでフィードバックを得る機会を失っていく。「めぐりあい」ってのがないと、酸いも甘い良いも悪いもつらいも嬉しいも、感じられないじゃん。

難しく考えず、考えることをやめず。

今日もまた、仕事には役に立たない「解釈を練りこんでいく過程」を楽しみたいと思います。