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GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

電子書籍の今後の展望について思ったこと

知的生産物の今後の行方を占うようなエントリが2つ続いたので、思ったことをまとめてみる。

どちらの業界にも共通しているのは、Webベースのコンテンツ配信が普遍化してきたことにより知的生産物の商品化コストを著しく削減されて提供できるようになってしまった、ということがあげられる。

  • 本が世に出る流れ
    • 「製版→印刷→製本→取次→書店」
  • 楽曲が世に出る流れ
    • 「作曲→レコーディング→CD化→取次→量販店」

両方とも似たようなプロセスを通るわけだが、両業界においては今まで「物理的なパッケージ」に落とし込んで世に出すという部分を担っていた業者が必要だった。ただの著作、ただの楽曲を「世に出す」というのは個人の努力では超えられないカベがいくつもあったのですが、誰も取りづく必要も無く、パッケージ化する必要も無く、各種デバイスが出揃いインターネットで直接売り手と買い手がつながるサイクルが回るようになった。少なくとも役者は整った。この流れは減速することはあるにせよ、逆行することは無い。となれば、今まで原材料を商品にパッケージしてきた出版社や音楽プロダクション等のアイデンティティが崩壊寸前なのは必至ではないか、という話のように思える。

1億年と2000年前から「中間流通業者終了のお知らせ」という話は聞いているのだが、実際の所商社は相変わらず存在しているし、卸業者も相変わらず存在している。教科書的な話になるけれど、卸業者の存在意義はメーカーの「売りたい」と小売の「買いたい」がマッチしないことを仲介することにある。メーカーは一度に大量の製品を売りたいワケだが、1社に100個卸すのと100社に1個卸すのでは全然利益が違ってくる。売り手と買い手が1対1になって仲介コストは無くなったとしても、そもそもの利益率が低下することが往々にある。中間業者のおかげで本業以外のコストを削減し経営資源を集中できるという一面もあり、それが中間業者を挟む大きな理由になっている。

しかし、電子化されたコンテンツの場合は勝手が違ってくる。「中間業者のおかげで本業以外のコストを削減」という話の質が違う。モノ売りの場合は生産と供給の調整弁としての役割が大きいのだが、電子書籍の場合はその調整をする意味がかなり小さいからだ。コンテンツそのものを顧客のニーズに合わせてカスタマイズして提供することがメーカー(提供側)で可能になる。手間的には難しくても技術的には可能なはず。楽曲なら1曲/着うた/アルバムというカタチで提供できるし、書物も章単位もしくはページ単位でバラ売りも可能だろうし、著作権の問題はあるにせよ「複数の書籍を抜き出して再編集してパッケージする」なんてことも技術的には可能だし、何しろAmazonの配送を待つ必要も無い。

極論すれば、このブログのエントリを300円で買ってくれる人がいてAmazon Kindleを経由して配信すれば、それだけで利潤を生むことが可能になる。提供側の論理だけど。

電子書籍が今後ブレイクする為に、重要になってくるのは電子書籍の流通網の構築だと思う。要はベストセラーという存在をどう作るか、ということ。アテンションというのは、同じ方向を向いたものがいくつも重ならないとカネにならない。アテンションを集めて「これは価値があるものである」と訴えるメディアの存在が必要になる。TwitterのFavそのものは実に取るに足らないものだけど、ふぁぼったーが存在することでFavが評価軸を持つようになっている。コンテンツを売る場合は、「どこかで情報がまとめられている」メディア無くして「スター」という存在をブチあげなくては、市場が大きくならない。人は誰しも、自分が取捨選択してる情報が「えーなにそれwwwぷぎゃーwwww」と言われるのは苦痛なのだから。

それ以前にユーザーにとってどんなメリットがあるのかを「コンテンツが安価に提供できます」以外で提示していかなくてはならないが、それこそ商売のタネになりそうなことが色々転がってそうでIT屋がお手伝いできる余地は結構ありそうだなーと感じています。