GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

自分の仕事を愛せる時がくる日まで

elm200さんのエントリが飛び火して面白いのでムーブメントに乗ってみる。

私がソフトウェア技術者をやめた理由 - elm200 のノマドで行こう!
ソフトウェア技術者をやめるのは構わないがどの仕事でも認めてもらいにくいのは同じだと思うよ - ひがやすを blog

ソフトウェア技術者は報われないのか問題

生業としている受託開発が正直者がバカを見てしまう情報の非対称性があるからソフトウェア技術者は報われない職業だと主張された所、ひがさんが「非対称性があるのは普遍的なことだから、ソフトウェア技術者が常に報われないように取られては困る。」と反論された、という所でしょうか。

汚物のようなコードばかり改修してたら「コードで差を付けても報われない」と思うのも致し方ない部分はあると思いますが、僕もこの論点に関してはひがさん派。非対称性が無ければ報われるとも限らない。同業にその差を認められても、品質は使う人(顧客)が判断することだから。

要は「このコードは最高だ=このシステムは最高だ」はイコールではないってこと。最高の素材を使った最高級フレンチが魚の味がほとんどしない100円のスシローに顧客満足度で負けるってことがあるのさ。

が、そこで生まれる絶望も推察できるし、人工商売の弊害でもある「成果で価値を図ることが出来ず、猫も杓子もみんな同じ」に失望されたのかもしれない。ふろむださんのブコメにあるように医者みたいに専門性が高く評価されて「先生」という社会的評価があれば報われないとは思わなかったの知れない。医者と比べても何にもならないけどね・・・。

もう1つの論点のスイッチの切り替えによる社会性の欠如については、作業に没頭する事とコミュニケーションが潤滑に行えないことがそんなにも絶望的なものなのか、と逆に考えさせられました。排他的なのはその通りだと思います。引き出しが違う。うまくバランス取りたいな、と思う次第です。

職業プログラマはビジネスに興味が無い問題

耐えがたいって言葉にひっかかってしまった。誰がどうして部分最適に耐えられないんだ、って。それはいいや。

ギークたちの耐えがたい部分最適性 - elm200 のノマドで行こう!

技術それ自体は1円にもならないんだから、自分の居場所作りたかったら顧客への価値や社会的貢献という尺度で技術を見つめ直しましょうというお話。僕も何度もこのテーマではエントリ書いている。内容的には特に異論はないが、基本的に事業とかお金儲けしようとか、そういうことに一定の執念がある人ってすごく少ない気がします。業務以外の事に興味を持てる人ってそれだけで充分マイノリティっすよ。

最新の技術を取り入れて新陳代謝をはかることからある程度距離を置かないといけなくなる気がして、それが恐怖感になっている人もいるんじゃないかなと思います。でも、そういうのはやりたくなったらやればいいだけだし、よほど高いレベルならまだしも技術高めるより営業力つけた方が普通は長生きしそうな気がします。なので、営業さんと仲良くしましょう。トークのテクニックを盗みましょう。

プログラマの常識的なアイデアで、効率化や収益向上できる分野はまだまだある。けれど、多くのプログラマは今ある開発現場に縛られていて、フットワーク軽く斬り込んでいける人は非常に少ない。彼ら自身がプログラマという職種に境界線を引いていないだろうか?

今は高い技術への挑戦よりも、企画力+行動力+既存の技術の組み合わせで、何かをしたいと思っている。

Stack3

全く同感です。常識的ってのも含めて。常識的な事が組織的なことで出来ないケースがいっぱいあるから。ボタンの掛け違いがいくつもの掛け違いを呼んでる。そこに対して斬り込んでいける余地、すげーありますよ。企画から実装まで出来て、ソフトウェアのプロ。フットワークの軽さには自信あるので、僕も新しい道を切り開いていけるよう、コード書ける自分ありがとう!ってしみじみ思う日が来るよう、頑張ります。

The only way to do great work is to love what you do!