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GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

「べき論」は人を縛るだけで良いことがないから辞めよう

べき論というのは「義務を果たすこと、理想を実現しなければならないこと」などを強く主張することだけど、何も生産的な要素がないなぁとつくづく感じました。

べき論で自分の考えが無駄に縛られて精神的な自由さが奪われてしまう。べき論はしないことも同時に規定するので、自ら望んで板挟みになるようなもんだ。「すべき」と「しないべき」の板挟みの果てにできるのは「かくあらねばならない」という強烈な固定観念。強烈なリーダーシップを発揮することもあるが、思考の引き出しが1つしかないので、切羽詰まると正論(**であるべきだ)としか言えなくなってしまう。

べき論は終わりがない。言われたら言われるほど、自分に課されている義務や理想が膨らんで負担が大きくなってしまう。本当はミニトマトぐらいの大きさでしかないのにね。そして、その精神的負担は常に付きまとう。終わりが無いから。何を言ってもべき論で返されたら、これほどめんどくさいものもない。すべきと言っているのは自分がそうして欲しいから言っていることが多い。他人が共感できない自分だけの正しさというのは、非常にヒステリックに映る。

べき論では地に足の着いた議論にならない。置かれている立場が考慮されないので、「もう大丈夫」とも言えないし「こうしよう」とも言えない。よくわからないゴールだけが語られ、話の腰を強烈に折ってしまう。「できてたらやってんだよ」「それがダメだってわかってるよ」という憂鬱な気持ちが出てしまう。色々と「○○すべき」って言われたのに全然出来なくて結果が出なくて自分は...って自分を追い詰めてしまう。心の新陳代謝が出来なくなる。最もアカンやつ。あなたに否があるわけじゃないのに。

べき論では捨てていいものが捨てられなくなる。べき論は万能すぎて、森羅万象に対して○○すべきと言えてしまう。勉強はすべきだし、結婚はすべきだし、風邪は引くべきではないし、ミスはすべきではないし、太るべきではないし、仕事は頑張るべきだし。捨てていいものはいくらでもあるはずなのに、べき論が作り出すステレオタイプな理想に潰されてしまう。

僕は中小にいるので会社全体が見えるから特に感じますが、「こうすべき」「やめるべき」では間違いを正そうとしなくなります。べきだったよね〜よね〜ですよね〜で風化して同じ問題が再燃する。責任の追求をしなくても良いから丸く収まるけど、トップのミスとして認めればすぐに改善できるのに。やっちゃダメなことを決めて、やらないことを決めて、やれることにフォーカスする。そうしないと、異なる立場の人間をまとめて組織力をUPすることが出来ない。

人生は「やる」「やらん」「好き」「嫌い」の4つだけで充分です。今日も一日、適当にやってればよろしいと思います。