ここで地雷と言っているのは多岐にわたります。
海のものと山のものとも知れない案件であったり、火が噴いている案件であったり、新技術目白押しでバッドノウハウにブッコんでいく案件であったり、踏み込んだ提案であったり、自分なら出来ますっていうコミットであったり・・・。
でもね、id:t_yanoさんの名エントリであるプログラマなら人月なんかさっさと超えろにあるような人月で計れない人間になるためには、自分にとって未知の領域のものに踏み込んでいくしかないんだって。ここすごい重要だと思う。
もちろんリスクはある。工程見積が甘くて残業200時間かもしれない。外注先の品質管理に失敗するかもしれない。新技術を使ったはいいけど、ろくすっぽ活用できないかもしれない。資料を出す度にユーザーにボコボコに叩かれ、手戻り発生しまくりかもしれない。タチの悪い上長・元請けにあたるかもしれない。安全ピン外れた手榴弾ばかりかもしれない。
だけど、そういう地雷を踏んでこそ見えてくるのが成長ではないだろうか?
キャリアを築いて成長するためには今あるものを効果的に捨てる必要があるはず。今までのやり方を捨てて更に高次元なやり方に昇華していくのが成長という言葉の意味でしょう。逆に、いつまでも既知の領域でチマチマやっているようならダメ。自分自身の拡張性がドンドン狭くなる。加齢と共にね。こういうのにしがみついている割には、たいした知見もアウトプットも出せない人を「偽ベテラン」と言うのですから。
偽ベテランとは、確立された仕事のやり方を教えられてそのままやり続ける人だとのこと。こういう人は長年大過なく勤めたとしても偽ベテランだそうです。自分で考えだしたわけではないので、状況が変わったらどう対応してよいか分かりません。それでも「長年の功績」に目を奪われて、本人も周りもベテランだと思ってしまいます。
真のベテランとは、失敗を糧に自ら最善の方法を見つけ出す人です。当時のみずほ銀行で三つの銀行から寄せ集めた3人のトップは、いずれも偽ベテランだったから危険性を予見できず、対処法も誤ったとNHKで喝破するのには驚きました。
そうそう、正にこの「偽ベテラン」が地雷を踏んだことのない、踏んだけどそれにスレてしまい自分を閉ざしてしまった人の成れの果てだと思う。
私は自分の知りたいことがそこにあるのであれば、それが地雷であることは二の次です。踏んでみなくちゃわからない。踏んでみて初めてイレギュラーバウンドに即応できる反射神経というのが身に付く気がするし、何より「何が最善なのか」ということを強制的に考えさせられます。ですが、地雷を踏んだからといって出世できるかはどうかは激しく別問題であります。ここは混同しないこと。
人月を超えたいのなら、自ら選んで地雷を踏みましょう。