GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

お客様は勉強のためにお金を払っている訳じゃない

あきみちさんが良いことをおっしゃっていたので、僕も相乗りする。

個人的な感覚だと、「勉強」という単語は、お金などの対価を受け取って何かをしているときには迂回すべき単語であるような気がしています。相手は「専門家としての知識や意見」に対して対価を払っているのであって、「その人の勉強」に対してお金を払っているわけではないからです。

Geekなぺーじ:「勉強になりました」は禁句

全面的に同意です。

ホント難しいのは「勉強」という言葉の受け取り方なんですね。あきみちさんもおっしゃっておられますが、言っている本人は相手の意見が正しいと思うから「勉強になりました」という言葉を使うのですが、この言葉を使ってしまうとどうしても上下感が醸成されてしまうので、「あんたはうちが困っているから意見や知見を提供する側なのに、なんでこっちがお金を払って勉強させなければいけないのよ」と受け取られてしまうという話です。

しかしながら、なんと言いますか、お客様のことはお客様が一番よくご存じであり、専門家と言えどその点から見れば門外漢ですから知らないこと・わかっていないことはたくさんあるわけで、その観点から鋭いご意見を頂戴するとつい口から・・・、というのもよくわかります。

なので、「勉強になりました」じゃなくて、このように言うと良いと思います。

「なるほど、その点が不十分でした。ご指摘ありがとうございました。では、そのご指摘を元に考えますと・・・」

とか、

「ええ、その点についてはおっしゃる通りだと思います。ならば・・・ということはないでしょうか?」

とか。

「勉強になりました」の害悪は、ビジネスの場としての前提を壊しちゃって、結果として議論が止まることにあるんじゃないかな、と書きながら思い始めました。期間限定でかつ短期間で相手の懐に入るためには、とにかく情報を引き出して「刺さる」ポイントを見極めないと。

プロはNoという言葉を使わない、と僕は思っています。相手を立てるYESを先に持ってくる。ただ、YESで終始してしまうとそれじゃ単なる御用聞きだし、コンサルタントとしては最低最悪。プロは、Yesで始まりButで議論を展開します。Noを立脚点にした議論がダメなのは、否定するなら物事の節々を捉えて話せばいくらでもできるし、前提がコロコロ覆るからです。YESを前に出してそれを立てれば、そこが前提になります。間違っていたらButで展開して、また新たなYESを作るだけです。

Kent Beckもおっしゃっているじゃないですか。「問題 対 わたしたち」の構図に持って行くんだよ、と。

勉強はとっても重要ですが、勉強になりましたと言うのは友人・知人・同僚までということで。

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