GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

「いいなぁ」という文章に近づくために必要なこと

via はてなダイアリー

僕が文章を書きながら感じたこと・学んだことを書いておきたいと思います。内容はnakamurabashiさんのエントリとかなり似通っていますが、全く文体が異なるブロガーが同じような結論に達しているのも、また面白いものです。

まずは、書ききる!

で、まずは「書ききる」こと。これは重要。最重要。

はてなダイアリー

僕も、これを一番最初に持ってきます。書きあげてちゃんと1つの形に残すことが、最も大切なことです。

文章は料理と同じで、「原材料をそろえる→調理する→出来あがる→食べる→消化する」という1つのサイクルを定期的にこなすことで、段々上達していく類のものです。書ききれれていないのは、調理の段階で途中でやめてしまうか、出来上がったものがイメージと違うか、そういったことにより「食べて消化する」ことをしないということ。これがよくない。書ききって「うーん、何か違うなぁ」「この一文はよかった」「この言葉は不適切だったかも」と推敲することが、「食べて消化する」と言っている部分です。

この推敲プロセスが、語彙を増やしたり文体を洗練させることにつながる唯一のことです。

真似をする

「いいなぁ、この文章」と思ったら、その「いいなぁ」と思った感覚を頭の片隅において文章を書いてみて下さい。良い文章を写経してもあまり意味はありません。いいなぁと感じた気持ちをどこかに乗せて文を書くことが、真似をするということの意味です。「その人の模写文体で日常の雑記とか書けるレベルまで持ってく。」と、同じコトを違う言葉で言っています。模写文体ってのは文章を似せることではなく、感じた気持ちを乗せるってことだと思っています。

僕は本をあまり読まないタイプだと思う。1ヶ月に1冊〜2冊ぐらいしか読まない。多読であることは大して重要じゃないと思っています。100の言葉があっても、自分に生きる言葉は2つか3つでしかありません。あなたが使える言葉の幅には、限界があります。それは認めたほうが良い。マンネリを感じる時もあるのですが、それはちょっとテーマが違うので、また今度。

メッセージを載せる

これですよ、これ。文章の核はココです。

いくらテーマを設定したとしても、メッセージが無い文章はヒトを引き付ける事はありません。艶が無い。なんか適当に書いているなーというのが、伝わってきます。適当に扱われているなぁと感じられる文章を誰が好き好んで読むのか。僕らは芸能人でも何でもありませんから、「今日のカレーは最高だったよ!」という一文だけで興味を持ってもらうことは不可能です。

なので、

まずは、自分にとって「結論を出せる」ごく身近なテーマについて書けばいいと思う。

はてなダイアリー

これに諸手を挙げて賛成。僕の場合は仕事上の葛藤や問題が「結論を出せる」ごく身近なテーマだった。その延長線上で、今があります。

結論と言うか「うーん、こうなんじゃないかなー」っていうふわふわしたもので、全然OKです。そのふわふわを書いていくうちにそれが輪郭を帯びてきて、輪郭が見えてくると正確な文章を書く動機につながり、段々自分の文体を構築する手がかりになっていくためです。

正確であること

重要なのは「正確」であることです。(中略)「今日は寒い」ということを表現したいとき、それが状況説明のために必要なだけなのか、それとも自分にとって心底寒いのか、あるいは4月も後半になって雪降っちゃってちょうびっくりしたことを表現したいがために「寒い」のか、それをよく考えることです。

はてなダイアリー

どうして作家が「正確」であることを求めるのか、そのヒントがここに書いてあります。実に素晴らしい。

正確な文章と言うのは、正しいことを書いている文章ではないことがわかります。その言葉の裏にあるもの・背景、そういったものを鑑みて伝えるべきものを減衰することなく伝えるということ。その為には「今日は寒い」じゃ無理。それに比喩表現が必要と感じるヒトもいれば、現実的な描写を必要と感じるヒトもいれば、感情の動きを必要と感じるヒトもいる。それはみんな正解。比喩表現がすきなのは村上春樹で、現実的な描写がすきなのは村上龍じゃないかなぁと勝手に思っています。

nakamurabashiさんもおっしゃっていますが、そもそも文章は伝わらないものです。正確さを心がけても、あくまではそれは主観と主観のぶつかり合いですし、伝えたいことを伝えたいように書くのは、限りなく難しい。だから、文章を書き続けられるのかもしれません。

おまけ:論説としての文章

うまい人ってのはいくつかのポイントを使い分けている気がします。

  • 自分が語ることに対しての前提
  • それに対する自分なりの結論
  • 攻撃されてもいいポイント
  • 攻撃されないようにするポイント

こんな感じ。

簡単に言うと「自説を守るため」にオフェンスとディフェンスを使い分けている感じです。何事も絶対正しいと言うことはないのですが、何かに対して肯定的な結論を導こうとする時は「YES」を前にもってくる必要があり、YESを前に出すということは様々なNoに対して自説を守っていくことになります。オフェンスというのは、自説に対して肯定的な論拠を何らかの形で用意すること。まぁ援軍みたいなものです。ディフェンスというのは、攻撃されても自説は守れるようにしておくこと。わざとそこだけぼかしたり、ちょっと前提と離れてことを言ったり、断定的な言葉を使ったり、まぁそんな感じです。自分が回答可能な領域で突っ込まれることを想定しておくのがディフェンスかな、と。

清濁併せ持たないと、論旨に深みは生まれないのかもしれません。

最悪なのは立ち位置がブレているもの。立ち位置があって、それに対して「いや、その見解はわかる。しかし・・・」と続けられるから議論が広がっていくのであって、色んな見解がただ肥大化すると収拾がつかない。それが正しいか間違っているかなんてわかんないし、大抵「はじめの一歩」は思いっきり間違えるので、正しいかどうかなんて気にしない。

色々書きましたが、

自分の文章をもっと読み込んでいきましょう!最大の読者は自分自身であることを、忘れずに。

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