女てのはナただ可愛いだけじゃダメなのヨ
きちんとパートナーとして立つというか
人生においても 仕事においても
いい意味で片われでなきゃダメなんだヨ
- 湾岸MIDNIGHT 第15巻
なんかグッと来るセリフだった。
合う/合わないっていうのはある中で、自分をダイレクトに出せる相手ってやっぱりいる。言っていることじゃなくて、言わんとしていることがそのまま伝わる感覚。「ここ笑うところ!」「ここをわかって欲しいんだよ」「実は本音はこっちなんだよ」っていうのが減衰せず伝わるというか。一言で言うと「噛み合う」なんだろうな。同じコトを言っても反応は千差万別だから。それはそれで面白いけど、こうありたいなっていう自分にさせてくれる感覚というか。同じ目線で言葉が交わせるってホント幸せなことだなぁと思います。
でも、どこかで一線を引いておくことも必要だと思う。
その一線の太さや距離というのは異なるだろうけど。僕が決してあなたになれないように、あなたも決して僕にはなれない。それが意味するのは、その人にしか解けない問題、その人自身が舵を切らないと始まらない問題は必ずあるということで、その時にひどいすれ違いをすると、リクツじゃないところで辛い思いをするから。時にはいろんなヒトを巻き込んでしまい、みんながツライ思いをしたりする。
先日結婚について相談というか雑談っぽくなった時にこんなことを思った。「ああ、このヒトのことが好きだし、きっと幸せに楽しくやっていける」というのは間違いだと思うって。そんなの実際の所、誰にもわからない。わかるわけないでしょ。わかるのは新しいスタートが目の前にあって、お互いに色んなものをシェアしながら毎日を生きていくことだけ。楽しくも辛くもなるに決まってる。だから、「ああ、このヒトのことが好きだから、苦労しても支えあっていける、大丈夫!」って思える人の方が絶対いいなって。
やっぱりヒトは独りじゃいきていけないから誰かを必要とし必要とされつつ生きて行くのだけど、その時大切なことは「今の現状をこうやって変えて、こういう環境を作っていこう」とお互いが納得できることなんじゃないかなって。個人の自助努力だけじゃあ、どうしても続かない。いくら薪をくべても、薪はいつか燃え尽きる。誰かが磨耗する。誰かに過度な負担がくる。継続は環境が作るものだと思う。その中で互いの立場や性格や色んなものが異なるわけなので、「いい意味で片われ」になって分かり合えていないと一緒に生きていける環境を営むのが本当に難しいんだと思う。
好きもリクツじゃないし、痛みもリクツじゃないけど、好きってのは自分がそうしたい・相手にこうあって欲しいっていう気持ちがいつの間にか入っていたりするから、難しい。
好きが前に来るのは男も女も変わらないと思うけど、好きが前に出すぎると嫌われたくないが前に出すぎちゃって、好きではどうしようもない問題にぶつかった時に、分かり合えていないことが重くのしかかるよ。健全なぶつかり合いは恐れちゃいけない。ぶつかり合えるってすごい健全じゃん。ケンカが出来ないってことは、どこかで価値観が大きく違うか、互いの基準がズレているとか、どっちかが泣きを見ているとか、そういうことが多いので、結構ヤバイ。「ぶつかり合う」ことすら出来ないこともあるのが怖い。
雨降って地面が固まるならそれでいいじゃない。雨が降ってもそのまま排水溝に流れて泣いた分だけ損をするのは、ツライよね。それだといつか誰かの人格を疑う時がきちゃって、結局自分が辛くなる。否定しても何も変わらない。自分の基準を変えるしか、きっと道はない。
難しいことばかりですが、行けるはず! just to take you go the distance.