GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

人との距離感について僕が学んだこと

人間関係で一番難しいのは、距離感をつかむことじゃないかなと思います。

距離が近すぎれば自分の領域が侵害されますので息苦しくなり、つぶされるような状況に置かれることもあるでしょう。かたや距離が遠すぎると疎外され孤立していると感じてしまう。近すぎても遠すぎても、ダメ。もちろん近い遠いを感じる距離は、各々違うわけなので余計難しい。ウェットな付き合いを好む人もいれば、ドライな付き合いを好む人もいます。僕は気分屋で気難しい上に多少の距離を求めるドライな性格なので、不必要に距離感をつめられるのは結構ツラく感じます。

距離感でぐぐっても今ひとついいなぁと思うのが無かったので、僕が学んだ幾つかのことを書いておきます。

距離は詰めるものじゃない

距離は縮まっていくものであって、詰めていくものではない。

カリスマホストの零二が言ってたんですが、「相手に何かを与えることが出来るやつはゴマンといるけど、その相手に与えるべきものを順番に与えていけるやつは、ほとんどいない。」と。そうか、何事も順番ってものがあるんだぁとひざを打ちました。どの分野でもトップを走る人の言葉は重みがあります。

歩幅が合わないといけないんですよね。100mの距離を10mずつ詰めて欲しい人もいれば、5mずつ詰めて欲しい人もいると思います。相手が望む速度で、望むステップで、距離を縮めていく。一生、勉強です。

YESよりもNoを考える

距離感をつかむためには、YESよりもNoを知ることが大切なんじゃないかなと思います。YESって結構適当なもの。ちょっとのYESなのかすごくYESなのか、わからない。Noと言えないからYESなのかもしれないですし。要は、YESを過信しすぎると相手の負担になっていることにも気がつかないんじゃないのかな、ということを心配しています。Noがわかれば、「あ、この話題はNG」とか「この人はこういう考え方は嫌い」というラインが見えてきますので、それを踏みにじらないことに気を配ってみる。相手に不快な思いをさせてはいけませんよね。YESが合わないよりもNoが合わないほうがこじれやすいのが、人間関係です。

なんとなーくなんですが、嗜好性という意味で大きく分けて「好きを広げていく」嗜好の方と「嫌いを削っていく」嗜好の方がいるように思います。前者は「そうそう、それ面白いよね。私も好き」になりますが後者は「そうそう、あれはヤダよね。私も嫌い」になりがちです。ピントの合わせ方が違うというか、価値観が合うかどうかの判断軸が違うとでも言いますか。ここがズレるとかなり難しいです。

自分のちょっとしたこだわりを伝える

詰めるというのは、詰問ばかりすることを意味するのかなと思います。要は自分のことを言わず、相手のWhatを引き出そうとしてしまう。YES/Noで回答にしにくいような所に踏み込みすぎてしまう。これは相手に負担がかかります。相手に質問するかわりに、自分のことを相手に伝えるようにするのが大切なのは異論の無い所ではないでしょうか。かといって、自分のことばかり話してもしょうがないですが、発信しなければ距離感はつかめないままです。

自分のことを伝えるとき、「自分のちょっとしたこだわり」があると何か微笑ましく聞こえます。コーヒーの話題になったらどこそこの缶コーヒーが気に入っているとか。マイブーム的な何か。その時は大して反応がないかもしれませんけど、自分のちょっとしたYESを相手に伝えておくと、アイスブレイクに一役買います。

倦怠感を感じたら、カタチを変える

何事も繰り返しやっていたら当たり前になってしまいます。段々と話題が尽きてくるというか日常的というか、マンネリっぽくなるというか、当たり障りの無いものに終始しがちです。そういう時は会うシチュエーションを変えてみるといいんじゃないかなと思います。カタチを変える。カタチが変われば気分も変わります。カタチから入るのは重要です。かといって態度を変えてしまうのは不必要にコミュニケーションを難しくする原因になるので、やめましょう。

シグナルはどこにでもある

ちょっとした会話、ちょっとしたメールの内容、ちょっとした電話、ちょっとした表情の変化、目線の位置・強弱、声のトーン。

そういったものが、コミュニケーションの空気を変える。ふっと普段見せなさそうな顔をみせたり。そういった瞬間に出会うと時が止まったような感覚を覚えます。「あれ、どこが引っかかったんだろう」というのをいつも考える。その人が発した言葉の奥行きを探していく。違和感というのは、距離感をつかむ大きなキーワード。

相手の言っていることを解釈するだけじゃなくて、言わんとしていることを汲み取っていく。

こういうことを書くとたまに打算的だという意見をもらうのですが、いやいや相手のことを知ろうとする努力をしないほうがよっぽどマズイだろうよといつも思います。相手に何かを与えられる自分でいたいなと僕は思う。

合わないことは悪ではない

たとえその場で相手とうまく会話ができなかったとしても、それはあなた自身の価値になんら影響はありません。短い時間で「あの人つまんなかったよ」と言われたとしてもそれはその短時間であなたのよさがうまく伝わらなかっただけのこと。

それにその短時間で他人を判断して否定するような人と無理に迎合することはない!と割り切ることも大切です。

インターネットの備忘録(はてなブログ版)

合わないことは、悪ではありません。水と油が混ざらないのと同じ。それが悪いなどと思う必要はないし、はせさんのおっしゃる通りで自分の価値になんら影響は与えません。

僕がたまに不安になるのが、気配り上手がゆえに「あ、これはこの人にとってはイヤなことなんだな」と感じたことをラップして同調してくれるけど、その人の本音が見えない時。だから、僕はサバサバしている人のほうが好きなんだって思うw

言葉を届けやすくなった分、逆に言えば誰かを傷つけることにつながってしまう。だから、言葉を選んじゃう。痛みは消えるけど、傷はそう簡単に消えないから余計だよね。誰も悪者にはなりたくないじゃないですか。でも、選んだ言葉って伝わらない。結局何にも分かってないよね、って。

難しく考えず、考えることをやめず。

そのあいだでバランス取りながら、人との出会いの中で、色んな世界を知りたいなと思います。

山田ズーニーさんの本がオススメです

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

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話すチカラをつくる本 (知的生きかた文庫)

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