GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

他人からの評価は受け止めちゃいけない

「このままではどこか不安だ。自分の今の状態ってどうなんだろ」っていう意味で、ブログ等で発信を始めたい方はいっぱいいると思います。そんな方へ。

実際には、「自分の考え方を情報発信する」ということは、「批判を受け入れる覚悟を持つ」ということです。
そして「批判を受け入れる覚悟を持ち」「批判を受け入れる」ということは、成長に繋がります。

ビジネスパーソンが、積極的に社外に情報発信すべき理由。そして、最初の一歩としてやるべきこと:永井孝尚のMM21:ITmedia オルタナティブ・ブログ

上記のように「批判を受け入れる覚悟を持ちなさい」と説くケースが典型的だと思うんですが、まるで自分に降って来る全ての批判を受け入れなきゃダメなんだ、と解釈されがちではないでしょうか?

決してそんなことはないですし、これは大きな誤解です。過剰な反論空間は人を歪めるだけです。

批判を恐れずに発信していこうってよく言いますが、残念なことに批判を完全に恐れなくなるのは、ここ数年やってきて正直無理でした。いいんです恐れて。批判を恐れるなって言われてもやっぱり悪く思われるのは、程度の大小はありますが怖いものです。特にやればやるほど、批判が予測できるようになるがゆえに、見えてくるから逆に意識してしまいます。

personalityによっても違いますが、例えば人に嫌われる確率が1%だったとしても、10人の中に自分を嫌いになる人が出てくる可能性は低いですが、10000人になるとほぼ必ず誰かには嫌われます。

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なので、必ず誰かには嫌われるってすごいいい言葉だと思っています。とても気がラクになります。

ブログが大きくなり始めた時、最初は「なんで言わんとしていることがわかんねーんだろ、随分と勝手な解釈しやがって」という苛立ちを感じましたが、この行いが天に唾を吐くのと同意であることに気が付くのに、結構な時間がかかりました。情報の取捨選択は受け手の自由。その自由を阻害することは絶対出来ない。

そして、為末さんのおっしゃる通りで、総数は少なくても0.1%の否定意見をそれが全てかのように受け取ってしまうのです。野次を言う人って驚くほど少ないですが、グラウンドに立ったピッチャーは孤独です。グラウンドに降りたら小さな声でも耳にしたら、その声と向き合う必要があります。

スタジアムには赤の他人がいっぱいおり、多くの人にとっては立ちたくて立ったグラウンドではありません。野次に対する慣れが必要です。邪険に言われて動揺しない人ってほとんどいません。誰だって言われたくないことを言われるより、ちょっと折れたほうがラクです。

が・・・・。

その集積でどうなるかと言えば、自分の主張や価値観を練りこむこと、自分の内なる声がかき消されてしまい、考えることをやめてしまう。これが一番まずいことだと思います。

そういう方に申し上げたいのは、あなたが思い悩んでいるほどに相手は思い悩んでいないことがほとんどですってこと。気にしたらダメです。

批判が起こること自体を防ぐことは出来ませんので、対策としてはただ1つ。自分の人生にフォーカスすること。その意味は「自分にとって意味があればそれでいい」と割り切ること、それ以外のことは受け流すことなんじゃないかなと思います。

他人からの評価は受け止めちゃいけないんです。受け流すものです。受け取るなということではなく、心の中にいつまでも止めるなということ。人は溜め込むことが出来ません。溜めていいのはお金ぐらいなもので、溜め込みすぎると人間はオーバーフローするようにできています。自分を成長させないものに対して止まってしまっては、それだけで人生が終わってしまいます。凡愚に親しまず、賢人や叡智に親しむ。ノイズを受け止めてもいいことはありません。

成長したいという欲求も伴いますから、自分を成長させる批判だけはにおいでわかるようになります。

自分自身の人生を謳歌しましょう。人の人生は自分の人生ではないのです。

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このエントリがWEBで情報発信をしていく方の人生を謳歌する一助になりますように。

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