芸術家・岡本太郎氏は数々の名言を後世に遺しておられます。今回はこの名言に着目して考えてみたい。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。
すごく刺激的だなと思ったのは、アウトプットは積み重ねるためじゃなくて積み減らすためにあるのではないか、という考え方です。
とは言うものの、ヒトは皆自分が生きていくための生活環境を構築しなくてはなりません。その原材料となるのは、「自分が手にしているもの or 手にしてきたもの」だと思います。それが屋台骨というか土台になって、その上に僕らはのっかって生きていく。僕もそうですし、あなたもそうだと思います。
岡本太郎氏が言わんとしていることはいくつかあると思いますが、「積み重ねることはある一定の高さまで行くと、逆に不都合なことが多くなる。だから自分に余裕を作るために、積み減らすことも考えるべきだよ。」と言うことが織り込まれていると思います。僕もこれには賛成します。理由は2つあります。
1つ目の理由は、積み重ねていくことでリセットすることが難しくなるからです。今まで自分が培ってきたもの、犠牲にして得た社会的地位。そういったものを失う恐怖はすごく大きい。そして、人間ってのは困ったものでそうして得たものが時には柵となって自分を苦しめる。社会的立場はいろんなことの積み重ねで出来ていることが殆どなのにも関わらず、同時に自分を束縛する諸刃の剣になり得る側面を持っている。積み上げてしまったものを崩すということは、今までやってきたことから離れて新たな出発点を作るということになる。本当に難しいけど、出来たらすごくHappyなことだと思っています。
2つ目の理由は、自分が手にしたものが自分の幸せに繋がるとは限らない、少なくとも直接的に関係が無いからです。簡単な例を挙げると、自分がとってもほしかった車を5年かけて貯金して手に入れたとしたとします。ピカピカの新車です。今すぐに乗り回したいし、ドライブにでも行きたくなるのが人情というもの。納車の翌日に早速あなたはドライブに出かけました。が、そこで人身事故を起こしてしまいました。あんなに苦労して手に入れたものが自分の人生の足を引っ張ることになるなんて、当然夢にも思いません。家族には「こんな車なんて無かったらよかったのに」と言われたりして。
ベタなストーリーで恐縮ですが、同様の問題は形を変えて起こりうると思います。
積み重ねていけばいくほど、今まで積み上げてきたものの容積が大きくなってしまい、本来は10のサイズでよかったものが20になり30になり、それらが相互に依存するようになり、自分を悪い方向に肥大化させる。だったら、自分にとって大切なものをつめておけるだけの容積に常に保っていたらいいじゃないか、そういった悪しき依存を減らせばいいじゃないか。そのほうがよっぽど幸せなんじゃないか。小さいかもしれないけど確かな幸せに繋がるんじゃないか。
ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうがふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり......。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねえ......。
積み減らす生き方っていうのは、きっとこういう生き方なんだと思う。