非常に共感した。
で、最近思うのは、「自分は自分、とても残念だけど」という事。
どこまでいっても、最後は自分がどう生きていたいかってことなんだって思います。
なぜかと言えば、自分を取り巻く環境というのはどんなに自分がその環境を保持したいと思っていても、時の流れと共に絶対変わっていくものだからです。学生の頃はそう思わなかったんですけど、社会人になってみて初めて強く感じました。元々プロジェクトが四半期に一度変わるような短気なものが多かったことや、いろんな方が入っては辞められたりするのをみて肌で感じるようになりました。1年立てば結構メンツが変わります。私も毎年上司が変わっています。環境って変えられる部分もあれば、勝手に変わってしまう部分もありますよね。
どんなに仲がよい友達でも、いつまでも同じ環境にはいられることはありません。世話になった人達とも、いつかは袂を分かつ時が来るのかもしれません。自分が大好きなあの人も、自分の前からいなくなるのかもしれません。一緒に仕事をしたかったあの人もいきなり退職するかもしれません。
ふと考えれば、自分の環境が変わっていったイベントっていっぱいあると思います。残念ながら、その変化は自分ではどうしようもない所から来ているので、何にせよそれを受け入れるしか生きる道はありません。起こったこと、変わったことは否定しても元には戻らないわけです。環境は変わってしまうんだっていう前提を受け入れることが大切で、それでも自分が変わらずに望みたいものがあるならそれは強い気持ちを持たないと絶対守りきれないと思うのです。
私事ですが最近「結婚しているのにPCばかり向かって大丈夫なのか、何か大変そうだけど大丈夫か」と多方面から温かい突っ込みを頂くのですが、いちいち答えるのが面倒なのでここで。残念ながらもう一人身になりましたorz ホント「自分は自分、とても残念だけど」というid:itengineerの言葉が身に染みる。結局の所、生きがいは自分に求めるしかないんだなって思うのです。いくら環境が変わっていてもこれだけは変わらないものがあります。
「自分は自分」という真実です。
自分が大切にしているものや自分の人生哲学。こういったものは環境の変化のようにどうしたって変わるというものじゃありません。環境が変わっても何になろうと自分はそれを愛でて生きていけばいいはずです。生きがい?そんなもの自分に決まってます。
人間が幸せに生きていくためにとても大切な条件に、「自分に頼れる自分であること」があると思います。筋を通して生きていたいと思うなら、突っ張って生きていけるだけの経済力及び自分で責任を取ることが必要になります。それが無ければ誰かに頼らなければなりません。そうなると色々とめんどうなことが起きた時に糸が絡まったような状態になってしまい、それが「柵」になることが多いのです。柵は「しがらみ」と読みます。柵の中でどよめく負の感情のエネルギーは誰も喜びはしないはずです。
だから、自分に頼れる自分に、なろう。