この分野では「企業の競争相手が個人になる時代は目の前まで来ている」ということです。スタートアップ企業を作って数名で作るのと、一人の個人が副業で立ち上げるのとでは、最終的に出てくるモノの差がだんだんなくなってきており、単に「かかるコストだけが100倍違う」ということになりかねない、と思うのです。
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僕は企業の競争相手が個人になる時代はやってくると信じていますし、その流れは必然だと考えています。
どうして企業の競争相手が個人になるかと言えば、最も直接的な原因は生産手段が「チープ革命」によって誰にでも手に入るようになったからではないでしょうか。企業で作るモノと個人で作るモノの差が無くなるってことは、個人に与えられた経済的価値の生産手段が非常に安価にかつ容易に手に入るようになったからですし、この流れを止める要因が全く見当たらない。
僕は6年間大企業にいて、いつもどこかで「これって優秀なエンジニアが1人いればこんなに人数かけなくてもいいんじゃないか」と思う事が過多ありました。そういったもやもやを通り抜けてみると、そもそも組織規模を拡大することに意味があるのだろうかという疑問にぶつかりました。組織規模と事業規模の比率おかしくないか、と。人が足りなくなることはどの組織だってあるのですが、生産手段が高度に発達してくると当然期待される生産性も上がりますから、組織規模が大きくなればかなりの売上を上げないとその規模を保つことはできなくなります。僕は今後数年間で、大企業は「超大企業になる」か「倒産する」の二極化が進むんじゃないかと思っています。半端な規模では生き残れなくなる。数万人規模の大企業がもっと生まれる気がします。
企業規模というのは歩幅みたいなもので、大きくなればなるほど歩幅は大きく硬直化されます。その歩幅のあいだに、数多くの中小企業がいます。景気の悪化に伴い歩道がそもそも小さくなっていくと、大企業の歩幅も狭めざるを得なくなりますが硬直性がありますので限界があります。で、その間にいる中小企業が圧死され芋づる式に悪くなっていきます。そんなもんです。中小企業の泣き所はまさにこういう所で、大企業と付き合うというのはそういうことだと僕は思います。
ではどうしたらいいのかって考えた時に、僕は個人が個人に頼れるような時代が来たらどんだけいいかなぁと思いました。大企業なら毎日100ℓの水を飲まなくてはならないかもしれませんが、個人なら100mlでも生きていきます。池と水たまりのような違いがありますが、組織に従属されることを前提としていた歩幅の硬直的な社会から歩幅は小さくて荒れ模様の天気だけど自分で歩いていけるような社会になるともっと楽しいだろうなぁと。その意味で「クラウド」が果たす役割は大きくなると思っています。
ただ、今はそういう個人が企業組織の壁を超えて生きていけるインフラが社会全体として未発達すぎる。ここがなんとかならないものかといつも思う。
クラウドソーシングというサービスのコンセプトや狙いは僕は好きなんですが、致命的なのは事業の継続性が担保されにくいことです。要するに、フロムエーのバイト募集と何が違うのって言われた時にどう答えるかってことです。結局それって単発なんでしょ雇用形態としてバイトと同質だったら別にいいよ、ってことになる。クラウドソーシングで正社員募集とか多分やらないでしょう。もっとオープンで色んな人に見てもらえ、ある程度募集者の数を担保できる媒体を選ぶはず。プロジェクト完遂のためのパートナーが欲しいケースが多数派だと思うし、それはすなわち期限付きのお仕事になる。企業よりももっとメッシュの細かい単位で取引が交わされるなら、NPOのような組織体が運営したほうがいいのかもしれないと実は思っている。
最近は商社がITサービス構築の提案まで請け負うケースが多くなっているそうですが、なんだかんだ言っても労務提供を前提としたやり方がますます機能しなくなっていますよってことは明確だ。これだけだと単なるSI煽りで終始しちゃうけど、ITの一番面白い所は仕掛けて仕組みを作っていくまでのスピードにあるしビジネスの面白みって絶対そこにあるんだから、もっと小さな単位でプチスタートアップをどんどん起こして行きたい。特に異業種にいるプログラマ(その意味で「情シス」が負うべき役割は少なくない)はそういうネタがいっぱいあるし、僕もネタだけなら5個ぐらいあるのでやりたいことはすげーいっぱいあるし、やれることはやり方さえ考えれば増える一方です。要らなかったら引き上げますからどうぞご自由にお使いください、ぐらい言えたらほんとかっこいいんだけどなー。
脇道にそれてしまいましたが、企業組織の競争相手が個人になるということは個人が個人に頼っていける時代でもあると思います。それがIndependence Dayとなって欲しいと切に願う今日この頃です。