前々からフラットについてはこういうことじゃないかなーと思っていた事があった。下記エントリが呼び水になってくれたので、ちょっと書いてみる。
自分が、こういうこと(これらを平気で口に出して言える神経を含む)をおかしいと思えるような価値観をつけることが出来たことをちょっと安心すると共に、自分が子供を育てていくのなら、偏りの無いフラットな視点を大事にしていきたいなと、昔を思い出しながら、改めてしみじみ思いました。
フラットは無色透明であること
僕はこう思っています。
フラットって言う言葉には偏りが無いとか、平らであるとか、まっすぐであるとか、恐らくその言葉から抱く感想は各々違って色んな意味が含まれていると思います。私にとってはフラットという言葉から連想されるのは「公正」という言葉より「透明感」というのほうがしっくり来ます。
選民思想という考え方には全く興味がありませんが、ある意味ではピュアであると言えます。タケルンバ卿のブクマコメントにもありましたが、多分信じ込んでいるわけですよね。世の中そういうもんだって。本人には悪気は無いし、多分悪いことだとは思っていない。そういう世界に俺たちは生きているんだぜー、っていうぐらいの感覚だったんだろう。
これは選民思想とかに限ったことではなくて、色んな局面で「無垢だけど破壊的に偏執な考え方」「排他的で陰湿なやり方」「硬直的で無意味なやり方」とかに出会うことはきっと多くて。その中でフラットというか、バランス感覚を保っていくためにはそういった考え方をもどこか飲み込んでいく必要があるんじゃないかなと思う。拒絶して拒絶して拒絶していく・・・っていうのでは、決してフラットな視点というのは持ち得ない。
フラットであるためには、そのような毒素の強い考え方に対する免疫のようなものが必要になるのではないか。多分そういう免疫のある方って、僕の周りだけで判断しちゃいますけど、透明感のある人が多いように感じる。
太陽の光は誰にとっても基本的に心地よくて、その光はいつも透明感がある。でも、人間の目には透明に映っているけど、目に見える光は虹の7色の光から構成されている。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫です。人の目に見える光(可視光線と呼ばれるそうですが)は、この7色の光が一緒になっている。恐らく、人間にとっても同じことが言えるのではないだろうかって思うんです。
「マネーの虎」で一躍有名になった元SOD社長の高橋がなり氏が、「僕の理想は色んな考えや性格を取り入れて無色透明になることです。」と下記にある著書でおっしゃっていた。僕はこの言葉に震えを感じたのを今でも覚えています。どこまでたどりつけるかわからないけど、透明感を持ちえる自分になれるよう頑張っていきたい。
がなり流! 誰もやらないけど、誰にでもできる勝利の「王道」を教えよう。
- 作者: 高橋がなり
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