僕のところにymsrの訃報が飛び込んだのは、12/4のjava-ja忘年会の夜にymsrを通じて友人となった@loveatからの電話だった。不慮の事故で死んだって聞いたけどマジかっていう確認の電話を僕にくれた。電話をくれた彼の声も、震えていた。
その時、僕は仕事の帰りで名神高速道路を走行していた。「いや、俺のところにはそんな話来てない。ごめんな。」で電話を切ったあと、あまりの話に驚いて直ぐに最寄りのSAに車を停めた。悪い冗談で確認電話が来ることもない。そういうことなんだろう。とにかく落ち着きたくてタリーズに駆け込んでコーヒーを飲んだ。で、facebookを見た。主語は隠されているけど多方面から似たような雰囲気のPOSTがあって、なんだよこれはっていう複雑な気持ちを一掃したくて一気に珈琲を飲み干したことを覚えている。
僕は2003年からブログを始めて、2006年にはてなダイアリーに移行した。で、ある日突然アメリカにはSIerなんて存在しない - GoTheDistanceがホッテントリに入った。ホッテントリに入るまで、はてなブックマークの存在を知らなかったので非常に驚いた。その後何度かブログを更新して、コミュニティなるものがあることを初めて知った。
僕をjava-jaというコミュニティに引き込んでくれたのが、ymsrだった。当時、amachangがIT戦士として名を馳せていて、彼らを中心に1981sってコミュニティをやってた。ymsrが僕を煽りやがって81じゃない俺たちは197Xってのやろうよって言い出した。wiki立てるだけだろって高をくくってノリだけで立ち上げたらjava-jaのみんなとお知り合いになって、グッと人生観が広がった。その経験があって「自重はダークサイド」を勝手に言い始めた。ymsrがいなかったら、コミュニティの中に飛び込むことはなかったと思う。顔の広い、他人にいつも気を配ってくれるymsrならなんだかんだでバックアップしてくれるという安心があった。
今、こうして「ござ先輩」(これはひがさんがつけてくれたんだけど)っていう愛称でブログを書いていられるのも、ブログを続ける意味を教えてくれたのも、会社の外の世界の扉を共に押してくれたymsrの存在が大きかった。とてつもなくお世話になったんだなって改めて思ったよ。
ymsrには会社に遊びに来いよって言ってもらったり、一緒に合コンにも行ったり、ビリヤードしたり、Twitterでオフ会やったり、楽しい思い出がたくさんある。ymsrを通じて知り合った友人とは、結婚や転勤等で場所が変わって事情が変わっても、交流を続けることができている人が本当にたくさんいる。
会社が変わって、環境が変わって、仕事も多岐になって、家庭の事情もあって、ここ数年は全く社外活動にかける時間がなかったけど、ymsrのおかげで今があるんだから、もっとymsrのようにいろんな人を取り持っていきたいなって改めて強く思った。
それと、会いたい人は会いたい時に会わないとダメってこともね。
残された俺達にできることは、気持ちの整理をつけたあとにymsrが取り持ってくれた縁を大切にして、北海道で飲み会をやって楽しく偲んで生きていくことかなと思う。
ありがとう、ymsr先生。
あなたは間違いなく、僕の人生を変えてくれたよ。