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ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

成果主義でも年功序列でもないプリンシパルを

勢いに任せて書いた30代というロールモデルが、あの著名なブロガーであるid:essaさんにトラックバックを頂いてしまった。ヤバイなと本気で思ったので、真剣にこの問題について再考してみる事にした。

essaさんのエントリで一番印象に残ったのが、最後のこのくだり。

その評価基準が人に厳しいものである必然はない。人に厳しいものか人に優しいものかはどっちでもよくて、要するにその組織がその評価基準を通して成果を出せばよいのだ。

結局問われているのは、「成果主義」か「年功序列」かの2択以外の評価基準は無いのか、ということではないだろうか?

成果の定義は目標達成で良いのか

成果主義によっておきる弊害の代表的なモノは、下記のエントリで指摘されています。大変秀逸な分析です。この記事では「何を持って」成果とするべきなのか、同時に成果主義は運用によっては如何様にも朽ちていくことを示唆しています。

第二に、成果主義システムの導入によって、社員は一年以内に容易に達成できるように設定目標を低く設定しようとする。これは誰も最善を尽くさなくなることを意味する。

年内に定められた目標を達成する事が評価に直結するのなら、合理的な判断としては最下層の点数をつけられないように予め低めに見積もることになる。誰だって達成できるかどうか分からない目標を掲げるのには抵抗があるわけで。目標合理性に基づいた行動が組織のバイタリティを下げるのは想像に難くない。

キャリアと全く関係の無い「○○に参加した」とか「○○を提案した」とか「○○部の改革を行った*1」とか、そういうしょっぱい目標で溢れかえる危険がかなりある。

また、id:m-matsuokaさんのご指摘にあるように、結果から逆算して「あなたは目標を達成したのでスキルがあるのでしょう」という幻想に捕らわれる危険もある。

成果を賃金に結びつけるのは結局の所、「スキルを計ることができないために、スキルが生み出したのであろう成果を計ることでスキルに応じた賃金を与えることができるはず」ということだ。

つまり、目標達成というか、目標を合理的に達成する事は本質的にその人材がもつスキル獲得の行動特性や思考特性*2とは、全く関係が無い。スキルをベースに成果を図る、もしくは評価を決定するというのはものすごくひずみがある。

特に30代というロールモデルの欠如については、この記述に相当の関連性があると思われる。

第六に、成果主義システムによって、企業は若手社員を育成する動機付けを失う。このシステムの下では、若手社員を育成することが企業のリスクを大きくしてしまう。

  • 成果に基づいて給与を決定する必要があるため、若手労働者についての人件費が増加する可能性がある。
  • 若手社員に教育投資することで、企業は優秀な若手社員から失う可能性がうまれる。

日本的年功制では、企業は社員が自ら退職することを期待できなかったため、固定費としての人件費をムダにしないように、できるだけ効率的に若手社員を教育しようとしてきた。

ここは重要なポイントだと思います。

年功序列・終身雇用型システムにおいては、人件費は固定費だという指摘です。固定費という守られた聖域だからこそ、会社として若手を育てる事は合理的でもあったと。しかしながら、今はご存知のようにそのような右肩上がりの時代ではなくなり、企業が突然死を迎える時代になり、派遣法の改正も引き金となって人件費は変動費になってしまいました。このパラダイムシフトはかなり大きな影響があったように思います。

そしてもう1つ重要なことが書かれてあります。

成果主義システムはすべての社員の評価に差をつけようとする。しかし本当に差をつける必要のある社員は、実際には非常に少ない。ほとんどの社員は評価の中間層に位置し、それほど厳密に評価される必要がない。最上位層の社員と最下位層の社員だけが、非常に厳密に評価される必要がある。

つまり、

中間層の社員を非常に厳密に評価することは、組織全体の効率性に対してほとんど何の意味もない。

これだ。

全体主義というものが多くの弊害を生むのも、こいつが原因ではないだろうか。パレートの法則ではないけれど、本来20%の層だけが成果ベースで評価されるべきなのに、ほとんど何の意味も持たない80%層の人間に目標ベースの成果主義を適用すること自体がナンセンスであると言える。効率性だけを取ってみれば、ある意味年功序列ほど効率的な評価制度はない。自動化されたベルトコンベヤみたいなものですから。

じゃ、年功序列がいいの?

もちろんそういうわけにはいかない。

ちょっと前のエントリで取り上げたamazon:なぜ若者は3年で辞めるのかにも書かれているが、年功序列制度は増え続ける固定費である人件費を賄うことができるだけの定期的な成長が前提になる。終身雇用で自らドロップアウトしない限り人件費は減らないのだから、考えてみれば当たり前の理屈。

今は大企業でも突然死する時代になり、リストラなんて当たり前の世の中になってしまった。業績も上がったり下がったりするし、昨日の勝ち組が明日の負け組になってしまう程に、短命化が進んでしまっている。よっぽど強い企業で無い限り保証できないシステムになった。

essaさんのおっしゃる組織に厳しくヒトに優しい世界を実現するためには、目標達成を良しとする成果主義でもなく、単純な年功序列でもないプリンシパルが求められるのではないか。

そこでヒントになるのが、「スローキャリア」という概念だと思う。

スローキャリア

スローキャリア

この本で一番最初に問題提起されているのは、強い上昇志向と目的達成への合理的な行動を実行できるヒトはほとんどいないのではないかということ。会社でやりたいことが上昇志向によってドライブされないヒトが大半なのであって、そういったキャリア志向を持っているヒトに対してにんじんをぶら下げるようなやり方は効果的ではない、と。

かといって自律性を重んじる優秀な人材は多くいるのだが、彼らにとってみれば目標達成も年功序列も何ら意味を成さないのである、と警笛を鳴らしています。

ここでいうスローとはどういう意味なのかは、@ITのBookReviewにうまい文章が載っています。

本書のタイトルである「スローキャリア」の「スロー」とは、ファストフードの対極の考え方として生まれた「スローフード」のスローと同じものです。食という人間の根源的な喜びの分野に対して、効率や数字という目的合理・上昇志向的な物差しを当てはめたファストフード。それに対して、人間らしい食のスタイルやこだわりを大切にしよう、と提唱されたのがスローフードです。

スローキャリアとスローフード。どちらも数字に表れない部分や自分の「こだわり」を大切にしよう、という考え方です。

つまり、「目標達成=成果」という物差しから脱却した「成果」というものを積み重ねてキャリアを積んでいくという会社組織を提案しています。

最初にかっちりとした達成目標を決めるのではなく*3目的合理・上昇志向を裏においた成果ではなく、事業ビジョンや企業戦略、部の方針などに評価者・評価される者お互いがコミュニケーションをとり、漠然とした期待成果やロールを決定する「成果申告型マネジメント」を提案しています。BSCを採用している企業は多いと思いますが、結局BSCに落とし込んだ細部が目的合理に陥ってる現象がすごく多いと思います。それではBSCが活かされない。

このシステムでは、目的合理的な行動を求めない代わりに結果については自分の上げた成果をきちんと説明することが求められる、とあります。好き勝手やっていいわけではなく、自分の内なるポリシーや自律性に基づいて、会社の価値観や戦略に合った成果をあげる仕組みにすれば今よりもハッピーになるはずであるというのが、スローキャリアの主題です。

年功序列でもなく、上昇志向にドライブされねば目標に非ずといった成果主義でもなく、自律をキーワードにした成果の積み重ねで会社と従業員がWIN-WINを築く。これが今の所、最も「組織に厳しくヒトに優しい」組織形態であるように私は感じます。

*1:実は部の名前変えて異動しただけ

*2:スキルそのものよりも、スキルを得ることができる行動や思考のあり方が重要である

*3:我々SIのように案件によってガラリと業務が変わる職種は、そもそも目標を立てることすら難しいんだけどね