梅田望夫氏の大企業で働くことについてのエントリの尻馬に乗ろうと思い続け、気がつけば尻馬が100マイルぐらい遠くなってしまったのですが、やっぱりこのネタについて書きたいことがあるので、エントリを書きます。すっげー長いエントリになってしまったので、気長に読んでください。連休の夜長にでも。
他の大企業はどうだかわからないけれど、少なくともウチの会社に限って言えば、以下のような事が言えます。
- 本部長レベル以上はやっぱりデキる人が多い
- 何にも考えなくても給料がもらえる仕組みがある
- 人がいっぱいいる、それだけでも意味がある
- 基本的に隣の部署が何をやってるかわからない
- 決定が棚上げされる
- うっとおしい社内業務が多い
こんなところかなぁ。
ウチの会社は社員数4桁の会社です。そんな会社にあって本部長クラスになれる人は、どこか一味違います。先を見据えて物を考えていたり、政治力がすごかったり、オレ様全開だけど明瞭な論理で人を引っ張ったり・・・。何にせよ考えてるなぁ違うなぁこの人は、と感じることが多いです。
儲かる仕組みが出来てるから、大企業
次に、何も考えなくても〜という所。ここは多少説明が必要。このエントリの例示が非常にわかりやすく、個人的には実感をもって読めた。
大企業も例にもれず、20/80の法則は当てはまり、所属する人は、「上位20%の人」と「それ以外の80%の人」の2つの集団に分類され、なおかつこの2つの層が存在することを受け入れることが大企業で働くということだからだ
つまり、大企業で働く多数の人間は「上位20%の人間が作ったビジネスモデルの中で動き回ってカネを稼ぐことを求められる」のだ。それだけやってくれたら、別に日経新聞なんて読まなくても、ブログなんて書かなくても、自分の仕事の改善を考えよう、会社の仕組みを変えていこうなんて考えなくても、給料はもらえる。「動き回る」中で自分の好きなことや楽しいことが見出さればよいが、そうでない人にとって大企業は非常に辛い場所かもしれない。
何かこう書くと非常に悪いように思えるが、そんなことは決してない。私自身、大企業って結構居心地えーやんと思っているぐらい。上位20%のビジネスモデルの中で、自分が市場価値の高いキャリアを築けているからだろう。顧客基盤があるのも大企業ならでは。大きいことはいいことだ、というのは一理あります。
大企業税
もちろんこういう仕組みになってしまうと、当然のごとく「ぶらさがる」人も出てくる。それがイヤになってしまう人もいるだろう。でもこれは大企業で働く以上避けられない税金みたいなものだ。
達成した成果から生み出される利益の大半は、自分の懐ではなく組織にぶら下がる人に吸い取られてしまう
この指摘はズバっときた。あーそういうことかー、と腑に落ちた。
社員が何人いようが、給料の支払いを止めるわけには行かない。それと同時に、実際に売上を上げる部門の数は限られてくる。営業、人事、経理、購買、計数管理・・・。こういう間接業務の方々の売上はゼロだ。それに経営陣の売上だってゼロだ。また、部長とかのラインの人間も、現場でお金を稼ぐことは無いので、彼らの売上もゼロだ。
そういった多くの部門の方たちの給料を払わなくてはならないので、多くの利益はそこで吸収されてしまう。重要なのは「上から優先的にもっていかれる」という所。給与額の高い人から吸収されていく。なので、私たち下っ端層から見るとなんかよくわかんねーし、たいした成果挙げてるわけでも現場の役に立ってるわけでもねーのに、コイツの給料高すぎじゃねーの、みたいな愚痴が盛り上がる。
だが、大企業だってあって給与水準は悪くない。特筆した成果を挙げたとしても、大企業利益吸引システムによりかなりの額がさっぴかれるが、残った金額が「そこそこ良い」ことであることが多い。それに、設備投資などはバシバシやってくれるので、私自身もハードやソフトの環境面で困ったことは一度も無い。総額100万ぐらいかかる研修に行かせてもらったこともあれば、海外に行かせてもらったこともある。逆にウン百万でもとにかく必要なら買ってもらえるとコスト意識が欠けてる人も見受けられるぐらいで、これはちょっとな、と思う。
大企業の人材・ノウハウなど
大企業の人材の厚み、ノウハウの蓄積はすごいものがある。ぜんぜんすごくない奴もたくさんいるが、それと釣り合うぐらい、この人は頭がいい、切れるという人がかなりの数いて、この人たちの多くが梅田さんが書いているとおり、周囲のなかで自分の役回りをきちんと認識して立ち振る舞うことができる人間的に大人の体質なのだから強い。
この通りであると思うが、人材の厚みとノウハウの蓄積は往々にして部分部分であるということがあげられる。個人ベースやチームベースではノウハウは蓄積されている。しかしながら、そのスコープが部全体にまで広がっているのは稀だし、全社レベルなんて夢のまた夢のまた夢じゃなかろうか。
以前ドキュメント管理でSubversion+TortoiseSVN+xdocdiffのソリューションを構築したが、他の本部の人がウチの部にきて、こんなんで管理してるんすよー的な話をしたら「SUGEEEEE!なんじゃこりゃぁぁぁ!」って。カルチャーショックだったらしい。多分このような「他の部でやっていて、ウチが知らない有益なノウハウに驚いた」エピソードが、300個ぐらいあるのが大企業であると思う。それが融合できたらとんでもなく強力で、まさに「巨象も踊る」って感じだ。
が、実際の所隣の部署が何をやっているかも全然分からない。
ライン部長になると、色々他の部の部長さんとの会議や打ち合わせがあるようなので、何やってるかわからんというのは無いみたいなのだが、我々現場は決してそんなことは無い。縦割りの構成のため、基本的に連携取らなくても仕事が出来る。仕事で一緒にならない限り、連携を密に取る必要が全然無いと言ってよい。だから、「顔は知ってるけどあんた何やってんの?」って人がすげーいっぱいいる。多分みんなそうだと思う。これは縦割り構造だから、という所が大きいと感じる。
社内業務
恐らく大企業にいるひとは、「社内業務うぜぇ」と思ったことがあるだろう。なんでうざいかといえば、様々なプレイヤーが登場するのが1つ。もう1つはフォーマットが固定化され柔軟性がかけているのが1つだ。
まず、様々なプレイヤーがいるとはどういうことか、を説明する。これが如実に現れるのが決裁だ。
他の会社もおなじだと思うけど、決裁額が高ければ高いほどエラい人が登場する。エラいというのは責任者と考えればよいだろう。そして、大企業の場合この「エラい人」が色んな部署に存在する。経営企画、法務、営業、開発・・・。こういうエラい人たちがいっぱいでてくるので、結局の所下の人間が意思決定が出来ない。どんどん上に棚上げされていき、議題だけでテーブルの上に乗っかったまま、最終的にはこの方々のコンセンサスに落ち着く。
製品開発、マーケティング、エンジニアリング、経営戦略、財務、等々でたくさんの人間が責任者とされ(あるいは少なくとも自分では責任者だと思っている)。このため決定は下へ委譲されず、逆に上へ上へと棚上げされていき、結局、委員会やコンセンサスに任せられることになる。そのため、従来の殻を破った革新的な考え方をする人間は意気をくじかれてしまう。
まさにこんな感じ。
かといって、権限委譲を与えすぎてしまうと法的リスクを犯したりすることもあるようなので、その辺りの線引きは中々難しい。ある程度ビジネスモデルが確立していて、その中で動き回ればお金を稼げる大企業にとって見れば、コンセンサスを取ってリスク回避という方向に向く方が合理的なのかもしれません。
なので、役職が上がると社内業務に裂くパワーも大きくなるという正比例の関係があることは間違いありません。大企業で何かやろうとすると、社内の皆様に対しての説得・調整に非常に力を注ぐことになる、なんて言われる一因がここにあります。
次にフォーマットが固定化されてるというところについて。これはITによる所が大きい。というのは、部門単位でみんなシステムを作っているからこんなことになる。ある所はグループウェアの機能を使って作っていて、ある部署はどっかに投げて作ってもらってて、ある部署は新人に作らせて・・・・。こんなことばっかりやってるので、ある情報が形を変えて様々なドキュメントフォーマットになっていく。縦割りで作ってますのでデータ連携とか夢のまた夢なので、結局の所部門横断型の社内業務をやると、Excel回覧の域を出ない。タカアンドトシに「回覧板か!」と突っ込んでもらえますね。これが非常にうっとおしいのであります。
結局、大企業ライフとは
梅田氏のこの指摘に帰結すると思っている。
- Whatへの「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらか。一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。そして苦手(つまり「嫌い」)を克服するのが好き。
- 与えられた問題(課題)を解く(解決する)のが好き。その問題(課題)を解く(解決する)ことにどういう意味があるかとかよりも、その問題が難しければ難しいほど面白いと思う。
- 「これが今から始まる新しいゲームだ」と「ルール」を与えられたとき、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことに邁進する、みたいなことが好き。
- 短期決戦型勝負よりも長期戦のほうが好き。
あたりの要素に◎がつく人は、こういうことでは挫折しない。辞めたいなどとは思わない。むしろ楽しいと思える「傾向」にある。
大企業でWhatを貫くのは無理です。
大企業で4年働いた確信じみたものがあります。100%無理とは言いませんが、死ぬほど非現実的です。大企業に属すると、会社のビジネスの波に左右されます。やりたい仕事があっても、会社として必要な仕事に90%回されます。そのベクトルがバチっと合えば最強ですが、なかなかね・・・。だから、好き嫌いやこだわりが激しい人は転職されるし、その多くはspecificな会社を選んでいます。
また、一緒に働く人の好き嫌い、とありますが、ウチの様なSIerというのはプロジェクト単位で仕事が動きます。その場合、プロジェクトが違えば全く違う人と仕事をすることになります。コイツと仕事がしたい!と思っても、「お前とは仕事したくねーよ」という人とやらなきゃならないこともしばしば。仲間にこだわりを持って同じメンバーで色々やっていきたい、という方には大企業はお勧めできないです。私も毎年上司が変わっています。この辺りが大企業の辛い所です。
与えられた問題を解くのが好き、ゲームルールを理解してどうプレイするかを考えるのが好き、という特性は「What」よりも「How」に注力したいかどうか、ということです。ここはすごい重要だと思っています。
先ほどの書いたように、大企業でWhatを貫くのは死ぬほど強い意志と強運と縁とその他諸々がマッチしないとできません。それよりも「いまこういうビジネスがあって。この仕事ではこのビジネスの売上を10%上げたい。さぁ、どうしようか?」という種の仕事を楽しんでやれる人が、大企業に向いていると思います。大企業はこの種の仕事に溢れております。逆に「こんな事業をやりたい、CRMをウチのコアビジネスにしたい」なんていう「What注力型」のビジネスは中々ありませんし、その種の進み具合は国会の牛歩戦術ぐらい遅いです。
短期決戦よりも長期戦とありますが、これも的確な指摘です。
大企業で特に系列会社内の仕事をやると、なんというか非常にゴールが曖昧になってきます。様々なプレイヤーが登場してくるからです。絶対こんなに要らないよな、とか思うこともしばしば。この辺りの人間系意思決定ゲームに気長に付き合える鋼の精神力を持っている方は、大企業向きです。居心地いいと思います。でも多くの人は、この種のゲームによる政治的な真綿で首を絞められるような苦しみに疲れるし、で「頭取るぜぇ!」という人はほっとんどいません。めんどくなって、言われたことだけやります。WhatよりもHowに注力するのが自分の仕事ですし、Whatを引っ張るインセンティブがあんまりありません。
よく「ウチの会社はおとなしい人が多くてねぇ」的なことを言う人がいますが、それはWhatを突き進むインセンティブがないからです。
最後に
会社で好きなことができなかったら、帰ってから頑張ろうと考えても、大企業はそんなに暇ではない。頑張っても一日中好きに没頭している人にはなかなか追いつけない。
(中略)
大企業最大の魅力は人がたくさんいることで、素晴らしい関係を築ける同期もたくさんいることだ。その出会いは間違いなく人生でかけがいのないもであり、失うのは恐い。
しかし、それと自分の好きを追求することは別なんだ。自分は1977年生まれで今年で30になるわけだが、歳を重ねれば重ねるほど、自分の好きを追求できない環境で好きを追求するのは難しくなる。本当は難しくないけれど、歳を重ねると色々なものを抱え込んでしまうから、自分で難しくしてしまう。
最後は「自分の好き」を探せたものが勝ちです。そのステージが大企業なのか、中小企業なのか。独立起業なのか。自分がダンスを踊る舞台はなんなの?ストーリーはどういうもなの?ということです。
私は「What」を見つけてアドベンチャーしたくてしょうがないんだけど、元々が「さまざまな領域を調べ尽くして、最もチャレンジングでチャンスも大きい」ものを探すHow型なので、Howの延長線上にあるWhatを探している、という所です。ハッキリ言えば優柔不断であるともいえますが・・・。
これにておしまい。長文にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。